祝 米寿 あいさつ文を紹介します

野出島プロジェクトの発足以来、先頭に立って活躍していただいている大先輩、菊池康さんと鈴木勝美さんがめでたく米寿を迎えられ、先日お祝いの会が開かれました。

その際、プロジェクトの初代会長でもあった鈴木勝美さんより、会の発足のいきさつなど思い出を語られたスピーチをいただきましたので、ご両名へのリスペクトを込めて、以下掲載いたします。(な)

 


 

ここで、長い間プロジェクトに携わってきた者として思いで話をさせていただきたいと思います。プロジェクトと菜の花の関係で菜の花とのつながりが深いので、菜の花を咲かせるきっかけからお話します。それは私の初孫が小学校に通うようになった時、同じく通う部落の子供たちに、生まれた故郷を忘れないでほしいと言う願いから良い思い出になればと思い菜の花を咲かせてやることにしました。

はじめは、安道部落内での畑でしたが、小野田小学校の生徒たちが全部で見られる処として神宮寺の下の畑にしたわけです。この畑は、長年誰も作る人がなく荒れ放題の畑でしたので岩井戸部落の藤沢政雄さんに整地を頼んだところ、政雄さんは、こんなところに何を作るのといわれましたので、小野田小学校の子供たちに菜の花を見せたくて、と言ったらそう言うことなら俺も協力してやると言って政雄さんは、たちまちナタネの種を蒔かれる状態に整地をしてくださいました。この時やっぱり、わたしと同じ思いの人が居たことが、非常にうれしく思えてなりませんでした。

しかし、その後が大変でした。ナタネを蒔く時期は、稲刈り時期と重なるものですから、周りの家では稲刈りを始めたと言うのに、わたしはトラクターに乗ってトボトボとお寺の下の畑までナタネの種まきに何日も通うわけですから、文句の出ないはずがありません。毎回文句たらたらでしたが、それでも私は子供たちに故郷の花を見せたくて、6年間ほど畑に通ってナタネの花を咲かせつづけました。

そして私が71歳の時でした。土手の草刈りが容易でなくなったので、神宮寺の高久さんに、もう菜の花咲かせは止めたいと言ったら、それは止めないでプロジェクトを立ち上げて続けようと言われまして、本宮直さんをはじめ、その他、9人ほどの仲間たちが、お寺に集まって野出島地域活性化プロジェクトの誕生の運びとなり、そして私がいきなり会長役を務めることにさせられてしまいました。

今度は、会長になってからが、また大変でした。私みたいな人が会長になって果たして、この会が長く続くのかどうか心配の毎日でした。新ソバ会の行われる日には、かならず朝早く鹿島神社に行って成功を祈ったものであります。

こうした、わたしの心配事がすこし無くなったのは、2回目のソバ会の時でした。刈敷坂にあるベル薬局の鈴木清助伯父さんが、帰り際に私のところに来て、野出島活性化プロジェクトの皆さん方のまごころがよくわかりました、とわたしの手を握ってそう言われました。わたしはこのお客さんの言葉で今までの心配が少し無くなってプロジェクトの活動に明るさを思えるようになりました。

それからプロジェクトの人たちは暑い真夏の中でも草刈りや種まきなど難なくこなして、数々のイベントにも挑戦して、集まるお客さんを喜ばせている姿が、きっとまごころとして多くのお客さんに映ったのだと思います。

わたしは、こうしたプロジェクトの活動は地域にとっても無くてはならない存在になりつつあるのではないかと思うほどです。人を褒める言葉にかけがえのない人、と言う言葉がありますが、プロジェクトの人たちは、やがて、あの人たちは野出島地域にとってかけがえのない人たちだった、ときっと言え伝えられるであろうと思っています。そしてプロジェクトの活動がこれからも長く続けられる事を強く願うものであります。

ところで菜の花を咲かせることよって、いろんな出会いもありました。何と言ってもプロジェクトの盛況な菜の花まつりが続いている事が一番でしょうが、わたしにとっては、岩井戸部落に、たまたま来られている、渡辺パン屋さんとの出会いも語らなければなりません、私と渡辺パン屋さんとの出会いは、きつねうち温泉に出していた、わたしのナタネ油一本からでした。その後パン屋さんからのナタネ油の注文が続くようになって渡辺さんとは長いおつきあいになりました。渡辺パン屋さんは春の連休になると都会のお母さんと子供たちを連れて、わたしの田んぼで、田植えイベントなどを行っていました。たまたまその田植えに参加してきていたのが梨本清太さんたち家族でした。なぜかこの地に縁あって梨本さんが野出島地域に住むようになって、しかもナタネ油を搾る工場までたてて野出島地域の活性化に貢献しています。これも、ナタネの花が導いたような気がしているところであります。

また、私の家でも大変に良い事がありました。それは渡辺パン屋さんが横浜近辺にお米屋さんを、5件ほど紹介していただきまして、私の米は他の米よりだいぶ高かったのですが一俵2万円でどんどん売れるようになって他の人の米まで販売してあげました。

神様は努力する人を味方するんだ、とよく言われてますが、これも、またナタネの花を咲かせ続けて来たご褒美だったのではないかと振り返っているところであります。

おわりに、プロジェクトの益々のご繁栄を祈ると共に皆様方のご健勝を祈念し御礼のご挨拶といたします、今日は本当にありがとうございました。

 

 

 

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